数ヶ月前に言われた言葉

「子供に何かしらの障害がある家庭の何割は、

母親に原因があるらしい」

と言われたました。

内容がどう、ということを書きたいのではなく、

私の中にある、子供に関することを言われたく無い。

と言う強い気持ちがあり、

まさにそれは「譲れない気持ち」

となっていました。

譲れない気持ち

と言うのは、それを抱いていないと自分が保てない。

と言う気持ちの事です。

私の中にある、譲れない気持ちが

たったその一言でグラグラと揺れ動き、

いわゆる障害児を育てている

私のこころを揺さぶりました。

それを言った方が悪い。んじゃ無いです。

子供の事だけは譲れない。

その気持ちに拘っていたからこそ、

拘りが弱点になり、私を揺さぶりました。

譲れない気持ちというのは、

自分自身に課すものであって、

たとえ我が子であっても、

自分以外の誰かに、

その拘りの理由を抱いてしまうと

人は脆くなる。

そんな事を学びました。

私の弱点を教えてくれた出来事です。

子供のことは守りますが、

私が揺らいでは、子供も安心出来ません。

子供であっても子供は子供の人生を歩くので、

私の人生と混同しないこと。

子供が障害児であっても、それは子供の人生。

私はわたしの人生を行く。

もちろん子供を守ります。

子供の存在が危ぶまれる様な危害を加えられたら、

子供の精神を痛めつけられる事があれば。

ただ、

障害と言われるなら、そうかも知れませんが、

それは便宜上、そう呼んでいるだけ。

大人が培ってきたデータにはそれまで存在していな

かった子供たちに障害という名前をつけておけば、

周囲の方は安心します。

「障害があるなら、皆と同じように出来なくても仕方ないね。」

と言うことで、納得し安心します。

皆と同じが出来無い。

それが事実であるので事実を恥じる事はありません。

恥じたら自分の存在をも恥じることになる。

このままのこの子たちで、いいんだ。

変わっていると言われる子供たちを一所懸命育ててきたんだ。

必死で育ててきた。

わたしの人生の十数年間を子供たちに充てて

きたから、子供たちにまつわる事で

私を否定的に捉える意見が許せ無い。

そんな感じでした。

でも、その方はその方が仕入れた知識に基づき考えを述べてくれただけであって、

私を非難したわけじゃない。

どうしてそう思えなかったのか。

必死で頑張ったことに、こだわり過ぎたからです。

子供の人生だからと突き放して考えてきたつもりは、

結局ただのつもりでしかなかったと言う、

格好悪い私に気がついて行けた出来事でした。

拘るのは子供の事では無いでしょう。

と、その方が教えてくれたのですね。

私は人付き合いが苦手ですが、

それでも人との関わりを

諦めきれ無いのは、家族以外の人間関係から

大きな学びを得られる。

と言う喜びがあるからです。

私にとって引きこもる事は退屈でしかないな。

人と接点を持てば、

嫌な気持ちにもなる事はありますが、

まだ私は人に絶望はしてい無いのですね。

 

あー、あの時、それでも、

私はとても腹を立てました。

今となっては、それだけ、愛が深い。

と、思っておけば宜しい。ですね。

 

下の写真は左から、

長女、夫、三女。

ですが、夫が小さく見える(・_・;

上にも横にも夫は大きめな人ですが、

お父ちゃん頑張れ。

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