まもなく、冬至を迎えますね。

シュタイナーでは欠かせないリンゴキャンドルの季節。

冬至。

一年の終わりが近い事を静かに思い、

それは人の一生の、死に至る道に思いを馳せる事にも繋がる。

冬至を過ぎた翌日から、米一粒分づつ日が長く照り始める。

新しい日がまた始まり、それは人の誕生を思うことに繋がる。

人の死は案外早く訪れるのですが、

死に向かう毎日が色とりどりで美しい景色と共にある事に

幸せを感じます。

子供たちと先日、高台まで星を見に生きました。

星と松本市内の夜景が美しい。

時々訪れていたその場所の昼と夜の違いを見つけただけなのに、

子供たちは感嘆の声をあげていた。

気がつくって、楽しいね

三女が言っていました。

そうでしょ?やっぱりそう思うよね。

気がつくの楽しいね。

私も笑って応えました。

 

先日、長女、長男ほぼ同時期にそれぞれの場所で、

LD、いわゆる学習障害の検査をしたらどうかという事になって

タイミングがほぼ一緒でビックリ。

長女は板書の書き取りが難しい。

板書の書き写しで時間がかかって授業においていかれてしまう。

以前より書き写しの時間も早くなってきたけれど、

やっぱり大変そうです。

と、中学の支援級の先生がおっしゃっていました。

長男は、原籍級にはもう近寄らず、登校しても

支援級の方にまっしぐら。

支援級は次女が在籍しているクラスがお気に入りのようで、とうとう

長男専用のロッカーも机も用意して貰えました。

そこで次女の担任の先生が発見してくれました。

カタカナを書くのが難しい事。

文字の形のバランスが取りにくい事。

漢字は読めるけど書く事に大変苦労している事。

 

親は分かっていましたが、それを問題だと思っていなかったので

特に手を打つ必要をl感じていませんでした。

長男本人が、書けなくて困った。と言うことを言ったことが無かったので

本人が困ったと訴えて来ないことに関して、

親が外側から出来ないことについて騒いでも、

逆に長男が困るだろうと思い、手を出しませんでした。

 

あ、漢字を書けないっていうことは困ったことなんだな。

 

という植え付けを、困ったと思っていない本人にしたく無かったのです。

長男は、漢字やカタカナが書けないことは自覚していました。

書ける漢字やカタカナはもちろんありますが、

形を読み取る事が難しいようで

長男本人が認識し難い形というものがあるようです。

LDということがはっきりわかると、

学習面で様々な配慮を受けることが出来ます。

文にルビを振ることや、

以下の様に配慮していただける様になります。

⚫︎読み書き困難な場合タブレットや音声読み上げソフトで学習できるます。

他にも受験の際に、LDという診断があると

受験時間のl若干の延長などの配慮が受けられる様です。

まだ様々に配慮頂けるようですが、

書ききれません(^◇^;)

 

我が家は障害という呼び方に関して、

特に抵抗がなく、その障害名があることで

この子たちがこの環境の中で生きる場と術を

障害という名に守られながら与えて頂いていると思っています。

現在の学校の仕組みに所属しつつも、そこに新しい風を取り込んで

新しい風と現在の仕組みの橋渡し的な役割を担えばいい。

現在の仕組みにそっとそっと新しい風を送り込めたら

こんなに素敵なことはありません。

そっとそっと。

 

自己主張を軽やかに出来る子供たちが

身近な場所から確実に、

小さく見えてもきっと後には大きな風穴となっている。

そう感じています。

幸い支援級の先生に恵まれているので、

軽やかにでも譲らなく、扱い易そうで実は扱い難いこの子供たちの声を

受け止めてくださる先生方に、本当に

感謝です。

 

障害と言われることは絶望ではありません。

あれこれと隠されていた特徴を見つけては特徴に名前をつけられていきますが

それはどうでも良いこと。

自分を知ること以外、本当に楽しいことってあるのでしょうか?

便宜上障害名が付きますが、それはどうでも良いのです。

自己紹介もし易いです。

 

自分ってこうだったんだと気づき明らかにする爽快感開放感。

呪縛から解放されていくようです。

知っていくことが

気持ち良いのです。

隠されていたもの隠し通さず、それをあえて声高らかに明らかにできた時に、

言葉は自分自身に呪いをかけなくなる。

呪いの言葉が自然と過去形に変わっていく。

〇〇だった。

と。

そこからがようやくスタートなんです。

私も今、自分について発見出来たことがあると嬉しくて仕方ありません。

右目の不自由さや、長期記憶が苦手とか、断ってばかりで辛かったとか、

なんだか隠されていたものを発見でき明らかに言葉にしたことで、

やっと思いの呪縛から解放されていけます。

嬉しくて仕方ないので、つたえたいのです。

私ダメ人間だったとか、

私は短期記憶専門とか、

見つけてはあきらかにできていくことが嬉しくて仕方ないのです。

文章や言葉からその人の状態を感じるとか、

隠れていた私、やっと見つけた!

これ私だったんだねという喜び。

私の文章から私の状態を感じられるかたなら、きっとわかると思う。。。

 

我が家の子供達は皆、自分たちが発達障害と呼ばれていることを

知っています。

自分自身を知る一番わかり易いヒントです。

知的好奇心が自分自身に向かっていく年齢になった時、

この名を手始めにして、

子供達は自分自身の内面へ旅に出ていくんだと思っています。

以下、学習障害についてざっと説明になります。

 

学習障害の種類
⚫︎読字障害(ディスレクシア)・・・読みの困難
⚫︎書字表出障害(ディスグラフィア)・・・書きの困難
⚫︎算数障害(ディスカリキュリア)・・・算数、推論の困難
の3つに分類

苦手分野以外の知的能力に問題が見られないことが多い。

本格的な学習に入るまで判断が難しく、障害に気づかないことも少なくありません。

学習障害の人は「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」という5つの能力の全てに必ず困難があるというわけではありません。

読む能力はあっても書くのが苦手、他の教科は問題ないのに数学だけは理解ができないなど、ある特定分野に偏りが見られます。

同じ「読む」ことの障害でも、ひらがなは問題なくても漢字が苦手など、その状態はさまざまです。

また、読字と書字の障害など、複数が併せて現れる場合も多く見られます。

 

学習障害と言いつつ学習障害に関してなにも私はl解決策を書いてありません(°▽°)

困難と感じていることを解決したいと願う理由は何か。

本当にそれは解決する必要があるのか。

解決と言うのは、要するに克服する必要があるのかと言うこと。

子供が機能的に出来ない。と言うところを頑張らせて克服させる必要があるのか。

どうやら私、そこを書いてみたかったんですね(°▽°)