今日は養護学校の公開参観。

午前中は次女の半日の様子を間近で参観できました。

来月行われる養護学校の文化祭の作業で

次女は

草木染めのグループに入り作業をしていました。

縦割りのグループになるので中学3年生の先輩から

機織りの扱い方から織り方まで付ききりで教えて

頂いていました。

縦割りの授業から学ぶことは

とっても沢山ありますね。

教える立場になることで理解も深まりますし、

また教えて頂く立場としても、

人様に何か教える時は

この様に振る舞えば良いと言うお手本を

間近で経験します。

次女のクラスの女の子のお友達が

私の近くに来て

「お髪を触っていいですか?」

と聞いてくれたので、

「どうぞ、触ってください😌」

と答えると

ふんわりとした可愛らしい両手で

私の髪を撫でてくれました。

何度も何度も。

可愛くて、そしてその手が優しく涙が出そうでした。

手から伝わる温もり😌

とても幸せな時間です。

 

養護学校に通う様になってからの

次女の表情は

とても穏やかになりました。

尊重されているという意識からくる自己肯定感は

表情にも現れますね。

安心しきって、心にも余裕があるので

5番目の妹のお世話がさらに上手になりました。

話しかけ方も変わり、

言葉の選択がかなり丁寧になりました。

小学校六年間は

かなり苦しかったのだと思います。

イライラして突然感情が爆発し、

手がつけられないほど怒り、

また、なぜ次女が怒っているのかもわからなかった。

先生も一生懸命やってくださったのだけど

それでも次女は大変たったんだな。

普通。という場所にいることは大変たったんだな。

そして恐らく次女だけじゃなくて、

どの子も皆、普通であろうとして

一生懸命なんだな。

なんだかとても泣けてくる。

子供は健気で大人に褒められたくて、

普通を頑張るんだね。

とてもいじらしいですね。

 

私は

完璧では無く足りない自分という姿を大前提とし、

また足りない自分を肯定している状態の「今」を

こうして書いているのだけど、

 

私と子供たちに対して、特に母の私に。

一言何かご意見を言いたくて、

私たちのそのまま、現在のありのままの姿や

今お休み中の私の活動にも

「良い」「間違ってる」など色々

伝えてくださる方がいらっしゃる。

困ったことに

仲良いから一言言わせて。

というのが実はとても困る。

私は、

あなたの「イイね」が欲しいのではなくて

足りない私の今を書き留めたいだけです。

今、足りないけど足りている。という

この矛盾を書いているだけ。

降って湧いたように

ジャッジの気配が忍びこむ。

良かれと思って、

ご自分のご意見をお聞かせくださっている。

でも、その言葉に、要するに行間に

自分と違うから嫌だ。

という空気を感じる時がある。

 

誰かの思う常識に

私や子供はあてはまりませんが

充分なほど幸せなのです。

だからご心配はなさらなくても大丈夫です。

足りない。と言う大前提で生きております。

自覚はありますので、

どうぞ出来ましたら今の私たちを

お友達という名前を付けた

正義感をまとい

あなたの思う普通にはめないでくださると幸いです。

そのままを見つめてくださると非常に嬉しいです。

 

子供は子供の道を歩いてます。

たとえ小さな子供でも、

子供自ら選択したことに私は口を挟みません。

うちの場合、

子供が遠回りでも失敗しても大丈夫なのです。

応援だけはし続けるので、

失敗しても大丈夫。

そして失敗っていうものは無いなと

この歳まで生きたから分かります。

行く先は誰もが死というゴール。

ならば精一杯

自分の選択した人生を小さな頃から生きたらいいです。

私は私を生きていきます。

だからどうぞ

ご心配なく。

お気持ちだけは感謝します。

 

黄金のこの季節。

この景色にどれほど心救われてきただろう。

物言わぬこの景色が、

私をこうしてなんとかこの地に留めてくれている。