先日、東京の地下鉄構内で久しぶりにネズミに遭遇しました。

ネズミに気がついて声をあげたのは

我が家の子供達と向かい側から歩いてくる家族。

我が家の子供達はネズミがガチャポンの機械の下に隠れたのを見つけて

長女以外の四人はガチャポンまで走って行き

床に這いつくばりガチャポンの機械の下を覗き込んで

ネズミの可愛さに感嘆の声を上げていました。

 

向かい側から歩いてきた家族の小さな6歳くらいの男の子も

我が家の子供達と同じようにしようとしたところ、

お母さんに

「汚いからやめなさい」

と、注意を受けていました。

 

……そうか、通常は母と言うのはそのように注意するもんだな。

私はそのお母さんの一言に感心。

私にはその感覚が欠落している。

 

 

都会の真ん中の駅で床に這い蹲る我が子を見ても、

「ネズミね!やっぱり都会だと建物の中でも遭遇しやすいんだ!是非近くでネズミを見たいよねえ!」

としか思っていないことに気がつきました。

 

日頃、ネズミに遭遇することはほとんどなくて、

家の横の川をヒョイヒョイと泳いで

何食わぬ顔で

石垣の中の自宅?に帰って行くネズミや、

畑のお芋掘りの時に時々お芋と一緒に

飛び出してくるネズミくらいしか

見たことない。

 

だから都会のネズミに感激してしまった。

 

床が汚い=手を洗えばイイヤ。。。。

 

これだ。

私の子育ての軸にあるのは、

先ずは子供は好奇心。

という思い。

好奇心と言うのは1番好奇心が盛り上がっているときのタイミングを逃すと

身を以て感じる最高の機会を逸してしまう。

好奇心は

そのタイミングを捉えることも大切だから

手が汚れたり、服が汚れても「あとで洗えばイイヤ」

私が未だ子どものままなんだ。。。。

 

溢れたら拭けばいい。

汚れたら洗えばイイ。

破れたら縫えばいい。

その行動を

笑われたら笑わせておけばいい。

 

大概こんな感じ…。

 

 

これが私なんだ。

 

子どもたちもネズミが可愛いかったことに大喜び。

 

これが我が家なんだ。。。。

 

 

で、今日書きたかったことはこのことじゃなかった。

 

三女のこと。

上のお二人様が大変だった頃に産まれた。

産まれてからずっとご機嫌で過ごすことが多かった三女。

いつも私のそばにいて大きくなってきた。

。。。のだけど、

置いていかれる。という状況を非常に怖がる。

姑に預けることもほとんどなかった人なのに、何故???

と思っていたのだけど

 

もしかして

子どもは産まれたばかりの頃を体内に記憶するのだろうか?

 

三女を産んで、

三女と同じベットで眠れるようになったのは

出産後意識がはっきり戻った数日後。

その間、産まれたばかりの三女は

ナースステーションで過ごした。

 

手の空いている看護師さんに抱かれつつ

ときには

小さなベビーベッドで静かに横たわっている。

 

産まれてすぐ私とは離ればなれ。

なので私の中にも

産まれたての三女の温もりの記憶や新生児の匂いの記憶が薄い。

 

意識が戻っったとき、そこにいたのはまぎれもないか細い新生児。というより

若干しっかりし始めた頃の新生児。

 

それが三女の深い孤独感と通じているのかどうかは

今は分からないけれど、

人が根源的に抱いている孤独感に上乗せして

胎内からの分離の記憶と

新生児期を共に過ごせなかったことが

さらなる深い孤独感へと繋げて行ったのかもしれない。

温もりが欲しくてたまらない人。

居場所をいつも探している。

非常に寂しがり屋さん。

 

出生直後の母との分離が

何かしら影響を与えているとしか思えて仕方がない。

過去の記憶というのは細胞にも刻み込まれるらしい。

だとしたら、

出生直後の温もりの欠除が

細胞の記憶として残っていることも考えられる。。。

 

 

だとしても。

 

目を開いて

思い込みの世界から出ておいで。

 

今まで散々直感で生きて来たであろう三女。

さて、

次のステップですよ。

 

次はね

言葉だけのやり取りに慣れていきましょう。

言葉の裏に感じてしまう感情は

横に置いて、

言葉そのものに意識を向けて見れば

誰もあなたを置き去りにすることは無い。

という事にきっと気が付ける。

 

直感の鋭い人。

でもね、

思い込みが強いと

思い込みなのか

直感なのかの判断が鈍ります。

 

今感じている気持ちは

どこから産まれたものなのか。

 

感情からくる単なる反応か、

またはまぎれもない直感か。

 

見極める為にも

先ずは言葉そのものに意識を向ける。

 

孤独と共に、私は在ります。

でも全てが深いところでつながっている。

 

それを感じられる日がきっと来るよ。

 

今日も疲れたので、

もう寝よう。