次女はいま

素敵な恋をしています。

同じ特別支援学校に在籍する高等部の男の子がお相手。

この数ヶ月で

素直な二人は急速に仲良くなりました。

ところが、先生方は快く思っておらず

次女は先日も個室に呼ばれ

先生2人の前に座り

「あなたは中学部の生活の決まりを破っているので、

節度のある付き合いをするように。」

と、注意を受けたそうです。

次女と彼は校内でお話することはないため

お互いのことを知るために

交換日記をし。

交換日記を交換する時間も先生の指定した時刻で先生が教室にいる時間に行う。

校内で2人きりにならない。

お昼休みの時間に一緒に遊ぶ時は

大勢のお友達プラス先生も交え鬼ごっこ。

休日は

午前中2人で電車で出かけ、帰りは必ず父母の送迎。

手を繋いで歩くこともあるけれど、

滅多にない。

恋する2人は一生懸命に

先生方の指示に従っていたつもりでした。

高等部の彼はアルバイトをしており

次女に洋服をプレゼントしてくれたり

クリスマスにはマフラーやカバンを贈ってくれたり。

ただ、そのお金の使い方が、

彼に金銭的負担をかけている。

として、次女が注意を受けました。

買って欲しい。とせがんだわけでもないのでなぜ?

というのが正直なところですが、

先生の彼に対する親心からだろうと、捉えることとしました。

それでもまだ先生方の不安?は拭えなかったようで、

次女を個室に呼び

色々な注意をしたなかで

「建物の影に隠れキスをしたのか。」

という質問に至ったようです。

次女はその瞬間

ショックのあまり笑顔になってしまったそうです。

自分がキスをするという、

本人も想像していなかったことを問われ


笑うしかなかったと。

先生に信じてもらえていなかったことを知り、


笑って首を振るしかなかった。

この数ヶ月、

恋をすることで

決まりごとを数回にわたり先生から確認されたり、

念押しされたり。

もっと遠慮してくれよ。と言われて見たり。

次女はすっかりそんな学校に疲れてしまいました。

不眠になったり、摂食障害様の症状がでたり。

学校に行けば彼に会える。

その思いだけで監視されているように感じながらも、

次女なりに頑張って学校に行っていましたが、

建物の影に隠れキスをしたのか?

という

人権や尊厳というものは全て先生の納得が行く時に

初めて与えられるもの。

とさえ受け取れるような現状に

絶望感さえ覚えたようでした。


校内の風紀を乱す。ということで先生がたも指導した。

とのことです。

教育者として

それは当たり前のこと。

それもまたその通り。

そう信じてやまない先生方と

どうしたら

心地よく過ごせる話し合いができるのか?


思春期の子がこんなにたくさんの先生方の目に晒されて恋をするということは

他所の中学高校ではあり得ないでしょう。

こうしたルールはどこの中学にもあるものですので、それは守っていただきたい。

はい。

理解しております。

2人の関係が授業に支障をきたすようでしたら

学校の決まりに則り

注意してください。

今、2人のことが原因で授業に支障が出ていますか?

…今のところ、そういったことはありません。ただし、これからそういったことが起こらないとは限りませんので、指導させていただきました。

先生方のお考えは分かりました。

そんな話し合いを数回重ねて、

幸せになることに罪悪感を抱くことを

なぜ教える必要があるのか。

先生がたのお話を伺っても私には謎だらけ。

彼がいつぞやのデートでのお迎えの車で私に話してくれた。

「障がい者という目ではなくて1人の人として見てほしい」

私は応えました。

「うん、うん。そうなんだね。そりゃそうだよね」

私の職場の50代の利用者さんが、

ある時私に話してくれた言葉

「俺らだって(この方は車椅子ユーザー、軽度の言語障害)

好きな人くらいできるし、

好きな人と一緒にいたいと思うし、好きな人ができたら

放っておいて欲しい。当たり前にそう思っているよ」

という発言と、彼の言葉が重なって、

誰もが幸福になる権利があり

子供にも等しく同じ権利がある、

私はそれを守りたいと

さらに強く誓ったのです。


それが彼の思いであるなら、

その思いを尊重すること。

何かしら見守って時には一緒に解決する、

ということが必要な2人かもしれませんが、

それは2人が劣っているからではないこと。

どうしたら

伝わるのだろう?

手助けが必要なとき

幸いなことに

素直な彼は私に相談してくれる。

・カラオケボックスや漫画喫茶には入らない

・帰りが四時以降になる場合、父母のお迎えで帰る。

・キスはまだしない

・支払いは必ずワリカン

・困ったらすぐに父母に連絡

今のところ約束は守られており

私はその彼の思いと彼の素直さと

次女のクソ真面目さを信頼しているので

2人の交際には

なんの不安も無い。

たとえこの先

二人が心変わりして離れることになっても

それはそれでいいじゃない?

先生方はそれの何が怖いのだろう。

学校の先生としての役割と家庭の役割の境界線が支援するものとしての立ち位置から離れられないまま、境界線を踏み越えてしまう時

それぞれを尊重するという領域があることを忘れてしまう。

恐らく

善意と指導と正義とルール

という視点からの正しさを掲げている間は

境界線を越えていますよ。

という意見には耳を傾けることはなかなか難しいだろう。

障がい児であっても

思春期の恋する二人は

そうッとしておいて欲しいだけなのです。

信頼の眼差しをしっかり向けて、

幸せでいる喜びを

大好きな先生方に応援して見守っていて欲しいだけ。

次女は先生がたとの日々の眼差しに疲れ

学校に行かれなくなりましたが

だからといって二人の関係が変わるものでもなく、

また、

私と夫のスタンスも

変わることはなく肚は決まっているので、

今回のことも

単に事が起き

そして次女とともに在ることをやめず

騒動が過ぎて行くのを見守るのみであります。

次女の心は深い闇夜のような状態で、


私も辛くなり号泣したがっている自分を発見したのですが、

号泣したいことを認めると

号泣したい欲求は波が引くように静かになりました。

なぜ号泣したかったのか?

人の幸せを心から喜べない人たちがいることを目の当たりにして

人や何かを愛する姿を見て不安を覚える人は

おそらく愛することに対して

何かしらの条件付けや制限を与えられてきたり、

または愛することは卑しいこと。と

教えられてきたのだろうと考えると

命本来の自然な喜びを

伸びやかに表現出来てこなかったという

命の歪みを見つけたようで、

その人生は恐らく

さぞかし寂しいことだったろうと勝手に想像し

たまらなく泣きたくなったのです。

人の世がこんなにも生きづらいものになったのは

命本来の喜びに制約を与えたのも

一つの原因かも知れないですね。

支援する立場のものが気づかないうちに

上から物申す視点になってしまう。

その

善意と正義の衣をまとった上から物申す態度に

いわゆる

支援される側は

得体の知れぬ無力感に苛まれていくことを

もっと知る必要があるのではないかと考えています。

そして、人を愛することや喜びを

今の二人に存分に楽しんで貰えると嬉しいと思います。

幸せになることに制裁を与えず

その喜びを存分に楽しんで生きていけるよう

これからも応援していこうと静かに思ったここ最近でした。

先生方は良かれと信じている。

そう、それならそう信じていられる自由をあげよう。

私たちはそれでもこうして彼らを見守る自由を手に入れる。

戦うのではなく

ひたすら

こうで在るということを私は

静かに譲らない