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今日はちょっと子供自身のことは横において、

私のことを書いてみます。

子供が発達障害ということがわかり、

いつの時点から私が悩み始めたのか、フッと思ったことを書いてみます。

障害児を抱える苦悩する親。

そんなものを演じだしたのは、

恐らく長女が保育園にいくようになてから。

明らかに他の子とは違った行動を取り続ける長女。

他の親御さんの好奇の目から、

わが子と我が身を守りだしてからかもしれません。

…といっても、

我が子といえば当然ですが自分が好奇の目で見られているなんて言うことは、

まったく気にしていないのですよね。

我が子自身が心地良いことしかしたくない。という主義を貫いて

それをただ楽しんでいるだけですから人からどう見られている

なんて事はどうでも良いのです。

だから結局、私が自分を守るために悩みをわざわざ生み出したのです。

障害児を抱えて苦悩する母親像というものを。

私も集団生活には馴染めず、

また自分自身の心地良い過ごし方を知っていながら

集団生活のルールに閉じ込められることが非常に窮屈だと感じながら

子供時代を過ごしたので、

実は心の奥では、

自由に自分自身に正直に振る舞う長女の気持ちが

痛いほど分かっていたのです。

心の深いところでは、

ヨーシ!この子は面白い子になるゾー。どんどんそのまま行け〜!

と、楽しんでさえいました。

それが、人の目を気にし始めてから、

こうするもんだ、こうあるべきだという世界にぶち当たり

わざわざ、集団生活に馴染めない困ったちゃんの親というのを

演じはじめてしまいまいした。

お友達の親御さんから、元気よすぎて大変だね

と声をかけられれば

大変な親を演じはじめる…

そんな具合です。

そうやって人様の言葉に振り回され、反応していくたびに

無かったはずの悩みは生み出されていきます。

ここは、今でも悔やまれるところ。

子供自身が毎日それなりに日々を自由奔放に謳歌していたものを

そして私もそんな日々を結構楽しんでいたものを。

わざわざ人様の仰る通りに

苦悩する親という姿を自ら生み出したことによって、

長女自身をも追い詰めてしまいました。

長女はいつの間にやら、私はダメな子。お母ちゃんを困らせるダメな子。

と思うようになってしまいました。

発達障害って、ナンだろう??

その頃考えたのです。

あれこれ考えて、私がたどり着いた答えは

今の教育システム、社会システムにはめ込むことが出来ない子を

ただそう呼ぶのだ。ということでした。

自由奔放に自分自身を謳歌している子供は大人の思う通りにならない。

管理できない。

管理出来ない子をそう呼ぶのかな。

そんなことを思いました。

もし、そうだとしたなら、発達障害っていうものは存在しなくなりますね。

妙な安定剤を子供に飲ませるも必要も無くなります。

…たどり着いた答えはそこでした。

あれからかれこれ十年近くが経ちますが、

親が学校や保育園に馴染めないことを憂う事無く、

お友達と馴染めないことを憂う事無く、

周囲の方から好奇の目で見られても焦ることなく、

親は親の人生を謳歌して、

人の目は気にせずにそのままの我が子を認めていけばよく

子は子で、この世界を謳歌して行けばよいなと思います。

そこに悩みが生まれる余地はありませんね。

発達障害。

社会システムがこうでなければきっとこの子達は

ちょっ変わったユニークな子として、

ただそこに、同じ場に存在すること許されていたのかもと思ったりして。

障害があってもなくても、それは実のところ大して関係が無く

通常支障が無く生活できているお子さんにでも

親がすることといえば

子の自由意志を徹底してひたすら尊重するということだけなのかもしれないですね。

自戒の念を込めて書いてみました。