言わば独り言


昨日、養護学校でお友達とトラブルがあり

家で散々泣いて

今日はお休みの次女。

昨日、学校に行ったら思いの外楽しすぎちゃって

今日はお休みしてクールダウンしたい三女

2人を連れてご町内の山奥にあるお寺で

お散歩して来ました。

お散歩のつもりが気さくな住職さんが

本堂まで入れてくださり、

お寺のお話を2時間近く聴いて、

ゆったり過ごして来ました。

お寺さんまでは

崩れそうな狭い森の道をぐんぐんと走っていきます。

途中で車を停めて

山の音を三人で聴いて来ました。

風の渡る音、鳥の声、虫の声がほんの少し。

木が揺れる音、葉が風で擦れる音。

自動車のタイヤで山栗やクルミや栃の実を

踏んだりはねたりする音にも

用心深く耳を傾けて。

静かで心地よい時間を楽しみました。

 

〜〜〜〜

 

最近夫が私の独り言をシェアするので

様々な方が読みに来てくださっているようです。

 

私の独り言を読んでくださってありがとうございます

 

こうして取り止めなく浮かんでくる思いに混乱をきたす時

単に書くという事で

落ち着いてくるので

取り止めななく書いています。

どこかの誰かに届け。

という思いより、

私の思考の変遷を残しておこうと思って書いています。

 

だからいつも独り言なのです。

 

あちこち彷徨ってみたり、また逆走してみたり、

ぶつかって痛かったり行き詰まったり。

こんな生き方もままた好し。という事で

内容はどんよりしていても、

どこかで彷徨っても

どの道全ての命のたどり着く先は同じで、

皆それぞれの過程を体験しているだけ。

とにかくどんな事でも体験しに来ているだけ。

と言う思いが根底にあります。

私自身の整理のために書いているので

メッセージも無ければ参考にもならないですし、

書いている文章のゴールにさえ到達していない時がほとんど。

だって、子供の寝静まる夜書くことも多く

眠くなってしまうので。

ゴールにたどり着く前に切り上げて

眠い時は寝てしまいます。

記録として今の状況や状態、今その瞬間に感じたこと。

ただ書いています。

感じたこと。

思うこと。

というのは流動的なもので

似たような出来事でも

昨日はこう感じたけど

今日はそう感じない。

 

という事だってあるわけです。

 

私はまだ何かに到達する前のその過程を

あちこち彷徨っている段階ですから。

これで今のところ良いのです。

ただ昨日も書いたように

そろそろそれも終わりを迎えつつある。

と言う段階。

 

ひとは

彷徨ってぶつかって転んで泣いて、

喜んで楽しんで愛して大らかに自由に、

そんなこんなを体験しながら

向かう先は同じなのですから、

遠回りも良いし、

近道も良いし、

なんでも良いのです。

だから、

何ものも

出来るだけ

否定したくないなと思う最近です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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