今週末は中学校と小学校の卒業式です。

。。。。。うえの写真、中途半端な写真。。。。

まあいいか。

空の色が綺麗なので😊

長女の中学が金曜。三女の小学校が土曜。

土曜は次女の養護学校の卒業式もあり、私は養護学校の学年部長なので、

卒業生のお見送りになるべく参加しないといけません😅

ですが、このまま夫が動くのが辛そうであれば、

養護学校のお見送りは、ごめなさい。して、

三女の卒業式に最後まで付き添うつもり。


体が二つ欲しい。。。

夫の体調不良が長引いて

一人でやらなければならないことが増え


瞑想と呼吸法でなんとか乗り切っています😅

出勤中運転しながら。

瞑想と呼吸は目を閉じなくても出来るので、有り難い。

仕事中も

心乱れてきたら、

今行なっている仕事の動作一つ一つにぴったりと意識を向け

意思と意識と呼吸を合わせ、その動作をします。

そうすることで、

随分と心が通常モードの凪の状態に戻れます。

いつぞや瞑想が流行っていましたが、私は未だ大好き。

今となっては自己流ですが、

心落ち着かなくなったらお試しください。

1日の終わり。

取り留めなく書いております。。。。。

静かで素敵な夜✨

仕事の気の張りも溶け、

今の私には

夜はいいなあ✨

また過敏が薄くなって

日中も最高!

と言う日も近そうです。

卒業に向け、この2週間は日中学校に行く事にした三女。

四月からお世話になる中学校の支援級の先生方の大らかさと、

小学校では体験しようもなかった、

行事や授業への参加の選択の自由がある事、

その選択をしたからと言って周囲から無言の圧力を受けないでいられると言う事がわかり、

それらが三女にはとっても魅力的に見えるようで、

今は中学校に向けて、

小学校に登校することそのものが、

光の道を辿っているかのように見える。

毎日同じような日々を、どれほどまで心地好く楽しめるのか。

その才能を身につけられたなら

もうどんな場所でも状況でもきっと大丈夫。

落ち込んだとしても、恐らく立ち直りも早い事だろう。

日々が、一人愉快に鼻歌でも歌っているかのように

軽やかで軽快に巡っていく事だろうと思います。

三女がその体感を確かなもとするまでに、

どんな道を辿るのだろう。

人それぞれの学びのスピードがある。


私だったらこうする。

と言う思い一先ず胸にしまって、

三女自身のタイミングが来たら、きっと話し始めてくれる。

問いかけられたらその時、

お母ちゃんはこうする。

と、口を開こう。


子どもたちに、大人の見つめる眼差しの影響をなるべく与えないように。

困った困った。と言って育てない。

可哀想、可哀想と言って育てない。

心配だ、心配だと言って育てない。

言葉の影響を受けて子どもたちはそのように演じる習慣がついてしまう。

今日

子どもたちに届けたい言葉にであった。

この長文は以下の言葉のためにあるというくらい。




ここまでの文章は全て忘れて頂いて💧

大切な言葉はこの下にある。


「人生とは巡礼です。私たちはみな巡礼者です。自らの一歩一歩を意識し、丁寧に足を運びます。その一刻一刻が今ここにある自分です。その一刻一刻が奇跡です。人類に奉仕し、地球のために仕えることができるという特権に、私たちは恵まれいています。地球が危機にあるからといって、思い悩むことはありません。ただただ、世界に仕える自分の一刻一刻に集中すれば良いのです。その奉仕は自らの変革です。何かを達成しようとする必要はありません。結果として何かが達成されたとしたら、それはおまけのようなもの。何かの利益が生じたならそれも単なる副産物にすぎません。重要なことは、自分が巡礼者として、旅をしているということ。そしてそのことに大いなる感謝を抱くことです。だらら私のように、重荷を背負わず、軽々と行こうではありませんか。今ここを生きることが、そして、奉仕することが、自由であり、解放なのです。成功を求めてはいけません。ただ、今、ここにおける充実を求めましょう。私たち一人ひとりが宇宙なのです。一体、それ以上何を背負う必要があるでしょうか」

【サティシュ・クマールのゆっくり問答 with 辻信一】より