言葉から

昨年新春 の次女。

「総理大臣になって世界が平和になるための政治をしたい」

そう希望している。

ただ、気をつけていかなければね。

まだまだたくさんの希望を胸に抱き語ることができる時。

「総理大臣になって…」

と言う言葉だけが、

さとわ。と言う人物を通り過ぎ独り歩きし始め

「総理大臣になりたいさとわさん」

と言う、

言葉と人格が一つのものになってしまい、

何者でもない

ただ静かに世界平和を願うさとわさん。

と言う人のままでは、

モデルとしての価値が無い。

と言うことになり兼ねない。

自由に未来への希望や願いを言葉にできる子どもの時間。

それは、いくつあってもいい。

大人にとって

一際光を放っているように感じられる子どもたちのその言葉の一つ一つが

大人の解釈によって

特別に素晴らしいもの。

のように捻じ曲げてはいけない

。。

ほら、だって、

あそこにもここにも、

世界の平和を願う子が沢山いるでしょ。

あそこにもここにも、

身近な誰かの幸せを願い、

その人たちが幸せである様に、生真面目に愛を注いでいる。

さとわがその言葉を掲げて歩く時、

広汎性発達障害⇨自閉症スペクトラム

という名札も書いてあるさとわになっている。

ちょっと、ひとまとめに書いてみると。。。

自閉症スペクトラムでありつつ総理大臣になって世界平和を願うモデルのさとわさん。

となる。

違和感を覚えませんか😊?

新しい時代はもう既にスタートを切っています。

この私で生きていく。

と言うことは、

ただの人として皆と同じ様に生きている。

と言う事を歩くだけで伝ていくのがいいのかもしれない。

歩く子どもに言葉を添えず。







子どもも大人も

自分の言葉が自分自身の足枷になるようなことがないように、

この言葉を添える私にこそ意味がある

と、子どもに思い込ませない様に。

子どもと関わる大人は細心の注意を払う必要がある。

この行為をする私に意味がある。と思い込ませない様に。

未来への願いや希望など、

何度でも幾つでもコロコロ変わっても良い。という自由を

おとなの都合の良い解釈でその機会を奪わない様にしたいと思います。

次女がランウェイを歩くとき

総理大臣になって、

と言う言葉が消えるのもまた、

ステキな兆しであると思えて仕方がない、

春分の日の夜。

春何番目の風だろう。

この強風が場の空気を一新してくれることでしょう。


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