喜びについて

長女を実家に送りがてら

本屋さんに寄りました。


児童図書コーナーで子どもたちがそれぞれ本を読み始めたので

私も児童図書を読もうと思い書棚を眺めていると

目に飛び込んできた本は

HSCに関する書籍。

目に飛び込んできたので

これは、と思い手に取りました。

目に飛び込んでくる。と言うことには

今の私に何らかの合図を送っている。

と思っている私は

その本を手に取り目を通しました。

…読み始めると、胸が一杯になってきて

涙が出てきそうになります。

この特性であったが故

いつの頃からか

人と交われない疎外感に苛まれ

あの人変わってると言う言葉に怯え。

あなたの言っていることは難しくて意味がわからない。

と、母には疎まれ。

小学校に上がった頃から

自分自身の特性が人とはどうやら違うようだ。

と、気がつき始めたことを引き金に

私は学校が苦しくて仕方なくて。


どうして普通に出来ないの!!

と言う叱責に怯え

普通がわからないまま普通を探し。

そんな小学生の頃を思い出しました。

自分自身の持ち合わせているものが気に入っていたのに、

気に入っていたことを手放さなければ存在できない。

胸が張り裂けそうに苦しかったな。

いまは違います。

この私で生きてもいい。

そう思っています。

なぜそのように思えたのか?

一風変わった子どもたちを育てていくためには

自分自身のそのままを受け入れ認めるしかなかったからです。

この子たちがこの特徴のまま

自分自身を嫌うことなく

のびのび生きていかれるために、

私は一体どうしたら良いのだろう?

その問いの先にあったのは

まずは私が私自身を受け入れること。

この私であることに

まずは私自身が寛ぐこと。

かつての私がそうであったように

子どもたちは私のご機嫌の善し悪しを察知している。

と言うことは

私が幸せであるのなら

この子たちも

幸せを感じて寛いで生きることが出来る。

私は

子どもたちが喜ぶ顔を見ていることが

なによりも私自身の喜びになっている、、、

子どもは私たち親の幸せを感じることで

喜びとともに

自分自身の存在を

肯定的に受け止めることが出来るようになる。

私は子どもたちの幸せを感じることで

深い喜びに満たされていく。

そう。

これは∞の循環そのもの。

喜び。と共にある行いには、

おそらく

独りよがりの幸せを追い求め過ぎ

他者を知らずに傷つけてしまうと言うような

暴走を防ぐ、魔法があるのかもしれない🌿

HSCとして生まれ出て

その特性を持て余しているお母さんと子どもたち。

HSCでなくても

子どもたちを一体どうしたら良いのだろうと

考え込む大人たち。

今なら少しだけ

どうしたら。

を言語化出来そうです。



返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です