信じていたけど違っていたこと

 

東京・代々木公園です。

東京に通う回数が増えた割に

観光はあまりしていないので

都内の楽しみ方を知りません。

博物館、美術館、水族館、動物園…

は、行きますが街歩きの楽しみ方を知りません。

 

代々木公園の木々は

守られて愛され親しまれ

こうしてどっしり大きな木となっていったことが感じられ

公園の中はとても落ち着きます。

守られ愛され親しまれ。

…あぁ、人もきっと同じかもしれないね。

守られ愛され親しまれ受け入れられどっしりと

育った人と居ることは、

やはり居心地が良いものです🌿

 

それがきっと精神的

安定感。

というものに繋がるのだね…

 

 

深呼吸すると

嗅ぎ慣れた木や土や落ち葉の湿った空気と香りが

鼻を通し全身に巡ります。

 

この香りを吸い込むと、都内にいても

元気が復活します🌿

 

 

 

先日

車の中で5番目の娘が

 

小さかった頃勘違いしていたこと。

という内容で色々な事例を出して話してくれました。

 

例えば

 

お婆ちゃんという人はお婆ちゃんの姿で産まれてくると思っていた。

でも違った。

という極一般的な勘違いからスタートし、

 

お母ちゃんは

お母ちゃん。

という名前だと思っていたこと。

 

オチンチンはそのうちに生えてくるもの。

 

というものや

 

馬の尻尾と頭の上から生えている毛は

人が、馬のオシャレとして

毛をつけてあげていると思っていた。

なぜなら

 

馬の体(胴体)の毛の感じ(質感?)と尻尾と頭の毛の感じがが違うからあれは

オシャレさせてあげてるんだ。

と、信じていた。

 

というもの。

 

花水木という歌の出だしの

🎶ソーラをー

(空を押し上げて?)

おしあーげてー🎶

は、

 

🎶ソーラをー

干しあげてー🎶

 

だと思っていたこと。

 

思っていた。

 

というより

 

信じていた。

 

ということでした。

 

 

小学校入学したら

自分の好きな学年を自分で選べて

自分の選んだ学年の勉強からしていいと思っていた。

でも

学校に入ってみたら

それは違っていて

一年生から始めるしかないルールだった。

 

 

など、

 

 

信じていた。

 

ことが

 

実はそうではなかったという時の

衝撃は

 

かなりなものだったようで、

いまは笑い話ですが

 

実は

そうではなかった。

と知った時のショックは

大きく

 

しばらくは、

色んなことを確認してから

話すようにしてみた。

 

とのこと。

 

 

家では慌てん坊で

閃きのままに任せ

お口から言葉が止まない5番目は

 

 

 

信じていたことが違っていたって気がついてからね、

いちおう

色んなことを確認してから話すようにした。

 

と言っていましたが

 

 

 

しかし

 

それは一体いつのことで

いつ確認しながら話していたのか思い当たらない…

 

それにしても、

 

 

大人にもあるなぁ

 

信じていたけど違っていたこと。

 

そもそも大人になると

 

信じる。

って

言うは易し行うは難し…

特に人間関係では……

 

⁇⁇

 

でも本当にそうかな⁇

 

イヤイヤ

 

自我をぶつけ合うだけの関係なら確かに。

でも

 

自我を超えた何か。

を心に抱いてさえいたら…

 

それは

 

決して

 

難し

 

ではないのかなと思いたいな。

不毛な議論は

なぜ平行線を辿るのか。

 

譲れなくなるのはなぜなのか。

 

保身に走るから。

 

ということでしょうか😄

 

平行線になる議論は

 

保身対保身のせめぎ合い。なのかな。

関係のスタートはどこだったのか?

話し合いのゴールはどこだったのか。

 

保身に走ると迷子になります。

迷子にならないように

根っこにある相手への思いやり

 

大切に

そして、

忘れずにいたいものです。

 

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です