インフルエンザのお陰様

毎朝東の空を見ることが楽しみ。

 

インフルエンザを移されて

頭がズキズキですが

朝はどうしてもこの時間に東の空を見たい

 

なので起きます。

這うようにしてでも起きる。

心から望んでいることとは、

こうして這ってでも

それをしたい。

 

心に従う。

という単純なことを

いま改めて実感を持ってかみしめながら行っています。

 

これも体調が良くないからこそ

気がつけたこと。

 

いちいちをこうして振り出しに戻し

遠回りでもあれこれ試して

やっぱり!

と気がついていく過程。

その非合理的なやり方が

今の私のペースなのかと思います。

 

 

 

 

 

 

順番が逆ですが

日が昇る前の色の変化を静かにみていることが大好き。

 

こうして体調を再び崩し、

家でジーーッとさせてもらっております。

太陽の光で酷い頭痛が始まるのですが、

 

そんな最中

お仕事の連絡が来ました。

 

お仕事の連絡をくださったのは

とても温かみのある親しみやすい雰囲気の方です。

優しく丁寧にお話しされ

その言葉の使い方や佇まいからは

ご苦労されたことが伺い知れます。

 

私は

なんとか自分の心と折り合いをつけ、

なんとかして自分の現実とも重ね合わせ納得させるための言葉をかき集め、

 

なんとかしてその仕事を引き受ける理由を必死に集めてみました。

 

優しい人、優しげな人、一生懸命生きている人、温かみのある人、などなど…

私の心の隅っこをくすぐられる方からのお話は

 

なるべく応えていきたい!

 

と、かなり必死になる傾向があり

自分の心に蓋をしても

違和感に気がついていても、

かなりギリギリな状況で引き受けてしまいます。

 

引き受けて

出来ない事はありません。

終わった後はやり切った感、満載になります。

そして、

やり切った自分と関わった皆様の顔を見て安堵。

 

でも

いつも気持ちは

今回が最後!

という気持ち。

ギリギリな状況で引き受け必死で動き

気が抜けて、しばらく抜け殻…

 

それはとても疲れる事です。

 

優しい人、親切な人、丁寧な人、寂しそうな人、

不安そうな人、儚げな人

そういう雰囲気の人を

放って置けない。

 

あ、昔の私のようだわ、その放っておけないと感じられる姿の人。

そして

私は自分のことを後回しにしてきました。

 

私のこと。

というよりも

 

私の気持ち。

私の気持ちを後回しにしてきたと思います。

 

状況的にも体力的にも

あー、ちょっとこのお願いをいまされるのは辛い。

ということを感じていても、

 

コロッと考えを変えて

やれる!という方に自分を誘導していくことに長けていました。

 

 

私は

我慢強いし優しいほうだし、ちょっとのことで、すぐ幸せになれちゃうし、豊かになれるし、夫や子どもも協力的だし、やればそこそこある程度のことは出来るし、交渉ごとも割と苦手じゃないし、疲れてもちょっと休めばすぐ復活できるし、体力もあるし…etc

 

と、そのことに取り組むための材料を

自分で数え上げていくと、

頑張れば出来ないことはないな。

という結論に達します。

なので

 

私の気持ちは

 

えー、ヤダなぁ。今はやりたくない!やろうとしていたことに集中出来なくなる!

ということを感じていても

 

そこを敢えて書き換えてまで

人の役に立つ。

を、優先していました。

 

人の役に立つことに幸せを感じます。

 

自分のしたいこと

自分の気持ちを大切にして

そこを敢えて1番に持っていった先に

人の幸せが重なった。

 

というのが理想。

 

で、

それをしたい。

と望むと

やはりこの間までのパターンに引き戻される出来事に出会う。

 

人に応えることが一番

自分の気持ち2番3番なくて4番くらいの感覚。

でも、

 

今回は

 

ありがとう、せっかくなのにごめんなさい。

という思いとともに

 

やれません。

が言えたのです。

 

たったこの一言が

 

私にはとても大変(⌒-⌒; )

 

しかしこうしてやっと

自分の気持ちを見つめるための時間を設けると決め、

それを実践した。

ということは

 

小さく前進しているのだと思います。

 

 

蜘蛛の巣に引っかかって落ちない木の葉。

遠くに白い月。

絡めとられ落ちない木の葉をじっと見つめていたら

ハラリと落ちて行きました。

なんだか

新年を迎えたようなこの数日の朝日。

ごろごろとこうして昼から寝転んで、文章を書き

自分について考える。

インフルエンザのおかげです。

頭の中で銅鑼の音が鳴っているかのような頭痛のおかげです。

そして

9月末から続いていた

喘息のおかげです。

喘息が長引いたのも

本当の気持ちを叫びたかったから。

疲れて無理して

咳き込んで咳き込んで吐き出して苦しくて。

胸の中

すっきりさせたかった。

そろそろよくなる気配。

さようなら。ありがとう。それまでの私。

長い間ありがとう。

人を放っておけ無いおかげで

たくさんの優しさ。という物を表現させて貰えました。

受け取ってくださった方、皆さま

本当にありがとう。

皆様のおかげで優しい。とは何か、

そして優しさの種類は

いくつもあるのだと言うことを

知ることが出来ました。

さてさて

やっと私はわたしのところに戻ってきたようです。

子どもと私。

そして

なぜ生きる

なぜ生まれた。

それが私の人生を通してのテーマだと言うことです。

そうしてみると

子どもの頃のこと。子沢山だと言うことは

無関係では無いのですね。

一人去っていった産まれなかった子(ありがとう)。

そのこともそれはそれで

なぜ生きるのか

なぜ生まれたのか

という私の中のテーマとは

無関係ではありません。

一人ひとり

人生のテーマが違うのだから

それぞれのテーマに沿った道は

皆違うもの。

それを何者とも比べず

それぞれのペースと道を

尊重できますように。

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