オン マニ ペメ フン

 

 

今日は朝からこのマントラが耳の中でずっと流れていました。

「すべては私の心で花咲く、蓮の花の中の貴い宝珠である」

 

(宝珠と蓮華に帰依します。心の悩みを取り除きたまえ)

 

 

その影響だったのか

今日の散策は真言宗の満願寺という山の中にある

名水湧き出るお寺一帯。

本堂脇には摩尼車があります。

 

こちらもまた非常に寒くて、早々に切り上げようかなと思っていたのですが

道先案内のように

お寺の黒猫ちゃんが現れ

ニャーニャー鳴きながらこちらをじっと見つめては先を歩いてまた立ち止まり、

また鳴いてこちらをじっと見つめる。

を繰り返すので

「猫ちゃんは

私たちにお庭にきて欲しいらしい。」

と、娘たち。

 

猫ちゃんの誘導に沿って

お山のお寺の立派な庭を

歩いて見ました。

お寺のお庭を急な勢いで流れていく小川に沿って

私たちの前や横を歩く猫ちゃん。

 

時々足もとにすり寄っては

ニャー。と鳴く。

 

 

 

歩きながら三女は

 

毎日が土曜日だったらいいな。

次の日も、安心して休めるもん。

 

と言っています。

 

平日家にいることへの罪悪感がどこかにあり

平日は苦しくなる時がある。

学校に行かないといけない。

でも行きたくない。

行きたくない理由は特別な理由な思い当たらない。

 

 

何故行かれないんだ?

 

と自分自身に聞いてしまうんだ。

 

と言います。

 

 

今は休みが必要な時。

 

それでも

人というのは

何かしなくては人として価値がない。

何か与えられなければ人として価値がない。

何かの役に立たなければ人として価値がない。

何か出来なければ人として価値がない。

と、考えてしまいがちだけど

 

…そんなこと思ってないよね。

 

そんなことないって言うこと、

あなたはもう知っているはずだよね。

 

自分で自分をとても大切に扱っているあなたは

今はそれでいいんだ。ってこと

知っている。

 

あとは

外の世界に向かって

自分の内に向かって

いま、私は何もしない。を選択する。

と、堂々と宣言したら良いだけじゃない?

 

そうしたら、

自分のしている事に迷いがなくなって、

自分が寛げるかも知れない。

 

 

何もしないという選択。

素敵だよね。

何もしないと言いながら

大好きな自然の中を歩いて

気持ち良い空気をお腹いっぱい吸い込んで

住み慣れた地で新しい角度から見る景色に

感嘆の声を上げ

水の美味しさや冷たさを味わい

曇りの日の光の色の微かな変化をしっかり捉え

雲の形や空の光に感動し

 

いま生きている実感に溢れている毎日を

愛しんでいる。

 

誰かや何かの役に立とうとして

躍起になるという生き方や

自分はなんでも知っていて

なんでも出来ます。

という生き方は

 

お付き合いくださる人様の親切心と寛大さがあってこそ成り立っている。

 

そんなことにすら気が付かなくなるほど

疲弊してしまっている人がたくさんいるんだ。

今のところ。

 

多くの大人も

自分の話ばかりをしたがるし

話したがる人は

人の話を聴くことはしない。

子どもたちの世界も

さして変わりがないのだろうね。

 

大人が

自分を構ってくれる人を求めて彷徨っているのだから。

子どもたちの世界も

さぞかし。

 

でも

微かに希望を感じます。

子どもたちからは

微かに新しい息吹を感じています。

 

 

 

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