長女のこれから

長女は

私立高校の全日制から県立高校の定時制に転入を考えています。

丁寧に生徒と付き合ってくださる高校だったのですが、

長女には合わなかった。

 

学校に対する違和感を誤魔化しつつ、なんとか卒業まで我慢しよう。

と言うことで一時は話が収まりましたが、

生真面目なので

もうこれ以上違和感を誤魔化すことは出来ない。

という結論に至ったようです。

 

 

自分のことを知り始め

自分のことを見つめ直す時を迎え

本来の状態に戻る時なのでしょう。

 

これを機に性別についても

どちらかの性である。

とは決めず

どちらでもある私。

というところを緩やかに受け入れて行く準備段階に入ったのかも知れません。

 

なんでもいい。

そのままで楽な自分。として生きてくれていればそれでいい。

 

性別を超えた人という存在。

 

人です。

女性として生きるも良いし

男性として生きるもいい。

性を超えて人として生きるのもいい。

 

いま地上は

性別も国籍も人種も超える必要がある時を迎え、

人として“在る”ということがとても大切になっていると感じています。

 

 

ここのところの世界の動きを見て

私とは何か。ということに目が向いて

何を学びたいのか考え直す

この時が必要だったんだな。

 

“何か違う"と言う声に

もう一度耳を傾けてみる時間を取ればいい。

 

 

 

アルバイトを始めてから

アルバイト先の人間関係にとても恵まれて

心地良い人との関わり方を体験させてもらえている。

 

ばあちゃんに近い年齢の方たち

お父ちゃんに近い年齢のおじさんたちや

若いお母さんや

違う高校のバイトの先輩。

 

ぶっきらぼうに不器用に接客する長女を柔らかい笑顔と言葉で受け入れてくれる環境。

 

そこに

長女のことを嘲笑う人はいない。

 

このアルバイト先の人との関わりを通し

自己像や社会や教育や学び

ひいては自分の友人関係までも

もう一度見直したい。

と思えるようになったのだと思う。

 

心地良い人との関わり方とはどんなものか

身をもって体験することで

中学時代から今までの

自分自身の置かれていた環境の激しさを

知ったのだと思う。

 

言葉の中に含まれる嘲り。

お友達からの嘲りの言葉は

痛く身に染みたことだろう。

 

 

それを

笑いで返さないと負け。

表面上は何事もないように振る舞わなければ負け。

 

という空気は

決して優しくて暖かい関係とは言えない。

 

 

小学校中学の女子は特に辛辣だったと思う。

 

あの辛辣さの中をよくやってきたな長女。

 

 

少し肩の力抜いてみたらいい。

 

この数日、

 

中学に行くくらいなら

戦時中の予科練に訓練に行った方がマシだったとさえ思う。

 

と言う。

 

やっと本当の気持ちが言えたんだ。

よかったね。

 

言えてよかった。

そして

離れてよかった。

これからは

本来の道を

安心して歩いて行けばいいね。

 

親だけでは

ここまでにしてあげられなかったと思う。

 

アルバイト先の皆さんのお陰で

長女の心が溶けていく。

アルバイトは

お小遣い稼ぎと社会勉強のつもりだったけれど

思わぬところで大きな影響をいただいた。

 

 

 

今夜もまた美しい春の夜のような温めの月夜です。

 

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