見ているところ

所用足し終わり

午後遅く5番目娘と公園に行きました。

パーっと走っては私の視界から消え、

木の影や遊具に行ってしまう…

 

足を庇いつつ移動するので

娘のスピードに追いつけませんでした。

 

 

建物が風除けとなる場所には

春の野の草花が咲いていました。

 

そこに足を止める人は恐らく数少ないような

場所。

 

5番目娘、

その脇にそっと咲く花をしゃがんで眺め

甘い香りを楽しんでいましたが

後から追いかけて行った私。

娘がしゃがんでいることに気がつかず

脇を

通り過ぎるところでした。

 

ここのところの出来事で

 

私はなるべく子どもの視点に近いものの見方をするよう心がけています。

 

いまこそ

そうする必要がある。と感じているから。

 

子ども寄りの目線に立つことにより

子どもの味方であることを伝えたくて。

 

大人の責任の名において

子どもや社会に対し

やらなければならないことは

精一杯やります。

うまく行かないこともありますが、

精一杯。

子どもの思いを

頭から否定せず

子どもが

やりたい。こうしたい。

と言う思いがあるなら

そこに力を貸したい。

 

やりたい。こうしたい。

を社会的に周りの大人たちに受け止められるよう

フォローすることは

親の役目ですが

うまく行かない時もあります。

 

 

 

子どものやりたい気持ち。

それをいかにご近所に迷惑にならないよう

子どもたちなりに工夫して話し合って実行するか。

 

子どもたちなり。

ですので

行いの結果が家族以外の

大人の満足いかないものである時が

あり、その時もう一度見直しの話し合いの場を持つようにします。

 

改善策が見出されない間

改善策が見つかるまでの繋ぎとして

親がかわりに謝罪したり、何かしらの手を加えたりして

子どもたちの話し合いの末

子どもたちが納得のいく改善策が見つかる時を待ちます。

その間

私は話の通じない親だ。

非常識だ。

と言う眼差しをぶつけられたり

時には言葉で直接言われます。

一時

とても落ち込みますが

子どもたちがやりたいことは

可能なのかどうか

それをすることで

何が誰が困るのか。

 

体験を通し知って欲しい。と願うため

 

子どもたちが試した策が上手くいかず

周りの人に迷惑かけたら

まずは私が謝罪。そして

私なりの対策をします。

 

そして子どもも謝罪に伺う。

この方針は変えません。

 

 

大人の方の思いや気持ちがわからなくもないです。

社会の一員として働いてもきたわけですから。

 

非常識と言われることは正直言って辛い。

それでも

この母親はダメだ🙅‍♀️

と言われていたとしても

 

 

子どもたちが言い出したことは

子どもたちなりの策を出し合いながら

何とか出来るようにさせたい。

 

私は常に子ども寄り。

申し訳ないですが

大人の都合に子どもを合わせることが

私には出来ません。

 

いま

私と子どもたちとの信頼関係がきちんと結ばれるかどうかを

真剣に取り組んでいるのです。

 

なので

苦情を言いに来られる方の思い通りに

私がしてしまったとしたならきっと、

親子の信頼関係は

薄っぺらになる。

 

いま

猫たちはリードをつけてお散歩しています。

 

子どもたちの話し合いの結果により。

 

そのようになりました。

リードのお散歩も

かれこれ一ヶ月になるでしょうか。

 

なかなか楽しいものですね^^

猫との気ままなお散歩は^^

 

 

特に

長男の「子どもの時」は

今年でそろそろ一旦区切りを迎えるので

私はいまこそ。と言う気持ちなのです。

あら、

なんだか同じことを繰り返し書いてしまった^^

熱が篭っていたのですね、私^^^^

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