思うこと。生きること、死ぬこと

 

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自粛の日々の楽しみ方。

 

5番目娘と娘の一番の仲良しさん。

二人の提案で

とある日の星の綺麗な夜に

お友達とお友達の妹ちゃんとお母さんと、

5番目娘と3番目娘と私の6人。

夜の畦道で寝転がって星を眺めたり、

ライトの明かりを頼りに遊んだりしながら

過ごしました。

 

自粛。

 

学校が休校なので

昼遊ぶのもいい。

休校なので明日のことを気にせずに

 

夜空をお友達と楽しむのもいい。

 

星を見上げて寝転んで

湿った草と土の匂いを感じて、

遠くの音を聴いて、

なんて素敵な時間だろう。

 

 

 

 

三月。

父が亡くなり

一つの区切りが訪れて

人は出来事と人をわけて見ることが出来る。

 

と言うことを心から知ることができた。

 

私は

あのような行いを

思い出せ。

と言われれば思い出さないわけではないけれど

 

何気なく父を思うときに思い出すのは

吹き出して笑ってしまうようなことばかり。

 

ありがとう。

過ぎてしまったからこそ言える言葉。

本当に、

しみじみと、

愛というものはここにあったんだな。

過ぎてくれたので、

また病んで子どものようになってくれたお陰で、

父に対する感情が変化した…

 

いや、

変化したのではなくて

隠してしまったものを再び見つけ出したのだった。

 

 

苦しみから発生した様々な感情に埋もれた

普遍的な愛。というものが埋もれてしまっただけだ。

 

父の病が進むにつれ、その愛というものが

月夜の雲が徐々に切れて

月が顕になって行くように

愛が雲間からその姿を現してくれただけだ。

 

愛すればこそ苦しくて、

その苦しみの底にある気持ちは常に

父の幸せな笑顔が見たい。

という気持ちだけだった。

本当に、なんてシンプルな思いだったのだろう。

 

何事も複雑にしないほうが良い。

複雑に解釈しないほうが良いこともある。

 

 

4月。

今日は生まれた街にある高台の山にお花見。

お弁当持って

深呼吸沢山して

のんびりと裸足になって。

清々しい。

四番目長男と長女は二人で電車に乗り

釣りに行き

13匹の成果をあげ日焼けして真っ赤な顔。

 

 

春。

 

生き物としての性。

動きたい。

 

新しい息吹を感じたい。

伸びようとする命を

生き始める命の循環を

感じたい。

ごめんね。

自粛は出来ないなぁ。

 

このウィルスとはもしかしたらこの先ずっと人類はともに生きて行くことになるやも知れぬ。

 

という説もある。

 

だとしたら?

 

その可能性の方が今は高い。

 

だとしたら?

 

どう生きていきたい?

 

どのように死んでいきたい?

 

 

もしこのまま先の見えない不安から

自粛して我慢して

季節の移り変わりを肌で

体で体験してならないのであれば、

私は空に還ろうと思ったりして。

自死ではなくて

早めに人が認める命の終わらせ方を迎えて

地上を一旦離れても良いかもな。

などと思ったりします。

 

貴方はどうか知らないけれど、

 

私はここに、

体験するためにやってきました。

 

自粛という体験をし、

そして

考え

今回は自粛し過ぎない。

を、選んでみます。

 

 

今回は。です。

 

 

般若心経。

読めば読むほど

 

それでも大丈夫だと

思えてきます。

 

自粛をし過ぎませんが

知った顔の人とは会わない。

でも、

仕事には行っています。

 

そんな中でも、

大好きな老舗のお店あちこちが

きっと観光客が減って、苦しいだろうと思うと

地元で循環を生み出すしかないなと考える。

 

観光客が来なくて

大好きなお店の方が困らないように

 

毎日高いランチやディナーは無理だけれど

せめてそのお店でコーヒー一杯だけでも飲む。

 

かけ蕎麦だけでもいいから食べてくる。

 

老舗のお店の場合

テイクアウトできないお店もある。

お店まで出向かないと。

 

豪勢には出来ませんが

 

ささやかに。

 

お店に行くことで

応援しています。と、伝えたい。

 

 

自分自身の体調が完璧だと言える間は

 

私は

自粛し過ぎません。

 

 

大好きな老舗のお店あちこちが

きっと困っているのだろうと思うと

 

悲しくて仕方なくなり

いてもたってもいられない。

 

だから

私は

私の体調が完璧に調子良い間は

 

自粛し過ぎません。

 

 

お金や経済を、生き物に例える人がいます。

だとしたら、

 

だとしたら、

 

 

お金や経済が生き物とするなら

滞らせないことが良いのだと思います。

循環させていくことが

何より生き物として自然だと思うのです。

 

日本の政府は国民のためにお金を使う気持ちはありません。

 

政府が国民のためにお金を使いたくないのですから、

 

政府を当てにするのはやめにして、

国民が政府を見捨てていけばよく、

いまは国民同士が

身の安全という重大な保身と不安の間で揺れながらでも、

 

経済を回す工夫をしていかれるといいですね。

 

政府の言う通り自粛し、

度を越して自粛した場合

経済は破綻しますね。

経済が破綻したら単純に考えても

支払いは滞り、学費も待ってはもらえませんよ。

食料は確保できず

子供を育てていくことはできません。

畑だけで人は生きていかれるモノではなくなってしまった現代です。

 

シンプルに生きる方向に舵を取りつつ

 

自分自身がこの先も残していきたい価値。

と言うモノやコトに対しても、

もう一度見直すときですね。

 

インフルエンザはどうでしょう。

 

未知の病への恐怖と罹患への恐怖。

人に病いをうつしたらいけない。

という思いが度を越した保身になってはいないか。

その保身の先に

何が待っていると想像出来ますか?

このウィルスはどうなるか。

あなたなりの想像をしてみて、

どうなっていくと思うでしょうか。

いつまで自粛する予定でしょうか?

いつ頃終息すると感じますか?

終息の頃、

あなたの仕事はどうなっていると想像できますか?

社会や経済はどうなっていると思いますか?

 

全てはつながっています。

一つの綻びから始まりやがて

大きく綻びが広がるとして

あなたの仕事はその時安泰でしょうか?

 

なぜ生まれたのか。

何をして何を感じて生きていきたいか。

 

大きな気持ちで

 

感じてみるのも良いですね。

 

だからどうぞお願いです。

 

あまりにも怖がって

身を縮こめて固まりませんように。

 

人はウィルスと共にずっとずっと生きてきました。

私たちの人生の中では初めてかもしれない

未知のウィルスへの恐怖。

 

その中でも絶えることなかった命。

命は紡がれて

そして貴方や私の今があります。

 

※国民一律に政府からの補償がなされた場合は、もちろん安心して自粛したいと思います。

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