体力の衰え

 

“うちの子

勉強が嫌いだから

 

〇〇高校か〇〇高校にしか行かれなくて”

 

お願いだから

自分のお子さんのことについて語る時、

謙遜の意味も込めて話されているのかと思うけれど

 

なんとかそう言う表現から卒業したらどうかなと

 

提案させてください。

そして、

 

その気持ち、痛い程わかるけれど

 

 

選択肢があるって素晴らしいと思うのです。

 

 

だけど、

 

わたしは口をつぐんでしまった。

 

そのどちらにも受験資格を与えられなかった人もいる。

 

 

 

この人の所属は

養護学校の高等部です。

、って言ったとしたら、

 

 

その会話をしているお母さんたち

 

心優しい方たちだからなおのこと

 

 

その場が一瞬凍りつくのがわかる。

 

優しい方。

 

そして娘が養護学校の生徒だなんて知らないから

 

仕方ないこと。

 

 

だから、

 

 

凍り付かせないようにと、口をつぐんだ。

 

 

この子がどこの高校に通っているのかなんてことを、

 

 

わたしははっきりと言えなくなってしまった。

 

 

 

 

どれだけのものであれば、

 

 

人は満足するのだろう。

 

どれほどのものを

 

我が子に期待するのだろうか。

 

その気持ちも愛あるが故。

だと言うことも理解できる。

そんな時に

 

えー、

うちの子

養護学校の高等部だよ!

 

っと言ってしまった時のアノ一瞬時が止まるような

空気が辛い。

 

 

けれど、

私が

サラッと言えばよかったな。

私が

 

あっけらかんと言えばよかったな。

 

 

今日はその気力が湧かなかった。

 

疲れていたから、

言えなかったなぁ。

 

 

体力は大切。

 

気力の維持には

体力がいる。

 

 

 

たったそれだけのことが

 

 

たったそれだけのやりとりについても

 

いちいちを

 

自分の中で納得させてからでないと、

 

言葉を発することができない。

特に今日。

 

その会話を目の前で聞いていた娘は

 

さて、

 

どう思ったのだろう。

 

謙遜のありようについて

考える。

 

気力体力巡らせて

気持ちよく、

胸張って

言おう。

 

この子は養護学校の高等部です。

って。

 

 

今度は

 

疲れ果てていないで

 

胸張って言おう。

 

そのためには

体力作りして気力を維持して

 

無用な謙遜や卑下は隅っこの方にいてもらおう。

 

現状を受け入れるための

 

体力、が心をきっと支えてるんだな。

 

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