ちょっと不思議な感覚がしているので
記録しておこうと思う。
これも独り言です。
そしてやっぱり人には…もちろん夫にも言えないこと。
思っていること、感じていることの
全てを言葉に出してはいけないことを
家族という枠組みの中で知っていきました。
人間関係を円滑に行う方法を今の夫から学びます。
話す相手はただ一人。
わたし自身。
さて、お話に戻りますが
仮に世界は四角い立体としておきましょう。
かつてわたしの世界は大きな大きな四角の中で、四角いとは言え
さほど窮屈でもなく
それなりに伸び伸び生きていたとします。
その四角い立体の箱が
年月を経るに従い10センチづつ小さく縮んでいきました。
小さく縮み始めた当初は気にもとめず同じ毎日を維持しようと
日々の営みを続けていましたが
小さく小さく縮んでしまった箱の中で
とうとう身動きもできないくらいに
体をギュッと縮めてなんとかして箱に収まる様にしながら
身動きせずにどうにかして呼吸だけをしようとしている…
いま、そんな感覚がしています。
人が閉じ込められていく。
精神的にも物理的にも。
人が
目的なしには人とただ寛いで一緒にいる。
ということさえ難しい。
小さな小さな四角い箱の中に
箱のサイズに合わせて身を縮こまらせている。
苦しくて仕方ないのに
「これが幸せなのだ」
と、言い聞かせながら
箱の中にいる。
そんな奇妙な感覚がしています。
こんなに窮屈で、そして不思議な感覚は初めて。
箱のサイズに合わせてわたしは身を縮めて
もうこれ以上は小さくなれないというところまで来ている様な
なんとも困った感覚。
小さな箱の小さな世界には、わたし一人。
この後
一体どうなっていくのか。
窮屈になった箱を中から思い切り打ち破り飛び出すのか
それとも絶望でいっぱいになりながら諦めて箱に収まり続けるのか
それとも、
いつの日か箱が再び元のサイズに戻るであろうと期待しながら箱の中に収まっているのか
いったいどの道を選ぶのだろう。
どの道に導かれていくのだろう。
…箱の中は窮屈なのに安心ではある。
縮こまりながら世界と隔離されている感覚は
何かから守られている様な感覚にも似ている。
さあ
一体何が起きているのだろう。
この感覚は
どこから来たのだろう。
ウイルスによる行動制限から?
子供たちや社会が漠然と感じている閉塞感を感じ取ってのこと?
今
わたしからは
多くの人が見ている世界が見えない。
夫のいる世界が見えない。
わたし一人、同じ時に存在しながら隔離された別の時を生きている感覚。
夫からも子供からも、わたしのいる世界が恐らく見えていない。
…これも不思議な物語
わたしの中の不思議な物語。
言葉ではなく
絵で残したいことだったけれど
絵が描けなかった。
言葉で伝えたくないこと。
言葉で伝えたいこと
文章で伝えたいこと
文章で伝えたくないこと。
絵で残せるならどんなにかよかっただろう。
囲い込まれた世界の先に
何が待っているのだろう。
その時は
どうか希望に満ち溢れた自由な日々であります様に…