一人で立つ

 

ということは

 

小さな石を(意志)を持つことか。

 

ネイティブ・アメリカンの言葉に

そのような名言があった。

 

 

 

 

 

 

 

  掃除中

畳のうえに1センチくらいの小さな石を見つけて

 

石か…=意志だね。と、

お掃除しながら考えた。

意志

というワードから派生した妄想は

一人で立つ

と言う言葉に辿り着き

 

一人で立つということは

どんなことなのかと

台風前の強めの風のなかで

揺れる草や

舞う蝶をぼんやり眺め眺めながら

考えた。

 

ぼんやりしながら

見えてきたのが

私一人で責任が負える範囲のことを

精一杯やる。

 

と言うことだった。

私一人で責任が負える範囲のことをやる前に

 

誰かに手伝ってと言うことは

わたしには出来ない。

 

同じやり方を

どなたかにも やれ。

とは思っていない。(その思いは届けたい人には届いてなさそうだけど)

信頼を得るために

まずは私一人で責任が負える範囲のことを

精一杯やる。

その姿を見て

 

一緒にやろうよ。

 

と、声をかけてくれる人がいてくれるなら

 

それはとても嬉しくてありがたい。

追う責任すらも

おそらく楽しみの一つだと

わたしは思っているので

 

一人で立っているあなたと私が

どこかで出会い

思いと言う環のその部分と部分が一致したら

重なり合う環の部分を

共に歩んでいけるのが

 

私の思う

 

一人で立つ。

 

ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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