いたみ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夫がお盆休みに入った。

初日の今朝は雨降り。

いつぞや数年前のお盆は

 

夫のお盆休みと同時に毎日雨が降り

夫の夏のレジャーは雨と共に終わった記憶がある。

今年はどうかな?

 

夫と二人。

 

最近よくよく考えることは

 

この先の生き方?

人生の折り返し。

 

心地よいひと

心地よいもの

心地よいことば

心地よい場所。

で生きるということ。

 

夫といる時間は心地よい。

何を言ってもいい。

という夫婦では無いけれど

奥底にある心地よさは変わらず。

 

 

 

 

 

 

 

 

日々のちいさな小さな本当に小さな転機を迎える毎に

棘のように胸に刺さり続けていた

 

数々の言葉を思い出すときがある。

そのことばと共に蘇る感情。

その感情から聞こえてくる声。

棘のように突き刺さることばと共に思い出すのは

 

その棘を抜くために向けられた

優しいことばの数々。

 

人は多かれ少なかれ誰かに

励まし励まされあいながら生きている。

 

では何故

 

棘となっていることばが

いつまでも胸に刺さっているのかと言うと

自分が求めていたことばを発して欲しかった相手がおり、

発して欲しかった相手から

自分が求めていた言葉を聞くことが出来なかったから。

なのかと

考えた…

こんな

あたりまえの結論に至る。

 

“励ましのことばを頂戴し感謝します。

でも、わたしは

あなたからその言葉を聞きたいのではなく

あの人からその言葉を聞きたかった”

 

と言うことだ。

 

 

 

 

 

 

 

求めていたものは手に入らなかった。

 

 

代わりに気がついたのは

おおらかに見守ってくれる眼差しが

傍にあったということ。

 

わたしの場合は

幼いともだちであったり

先生であったり。

 

自分の望む愛され方を親からはもらえなかった。

 

だからといって

 

わたしを愛してもらうために

愛してもいない人に迎合する必要など無いのだ。

そもそも迎合する必要はなかったよと

 

夫が

友だちが

 

教えてくれるた。

わたしがどのようであれ、

いつも変わらない眼差しがそこにあった。

自分の望む方法で

自分が望む人から愛してもらえないと

 

他者に愛を要求してしまいがちだけれど

 

愛し方の練習として

愛してくれるひとを

先ずは

愛してみたらいい。

 

愛し方は

愛してくれる人の真似をしてみること。

 

そこからが

自律の始まりで

棘との融合なのだと

思う。

棘は無理矢理抜いてはいけないだろうから

棘をからだの一部としていけたならいい。

 

それが

私であること

 

でもあるのだろう。

 

 

 

 

 

 

…あぁ

お盆休みの間に

一日でも晴れてくれますように。

夏の太陽のもとで夫に見せたい景色がある。

 

 

 

 

 

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