守破離

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは青空の写真。

 

青色だけの空。

 

白やグレーの雲があり青が映えるという当たり前に

 

青空だけの写真を見て深く感じ入る。

 

 

 

 

 

 

夫も会社でちょっとした変化を迎えている様子。

 

私も。

そのため相手を思いやる気持ちは

お互いに今は持ち合わせて居無く、

私事に集中したり集中しなければならなかったりと、

夫婦とは

格も足並みの揃わないチームであるなと思う。

そして唯一

甘んじて迷惑をかけられる存在でもあるのだと思う。

ウィルス騒動や世界情勢の変動の大きい

この時季を

 

守破離

 

と表現している人がいた。

私も夫も正にその通りだと思う。

守破離

の、『離』の時を迎えている。

『離』のときの手放しは

もう後がないよ。

という心つもりで行かねばならないな。

 

普段

 

ねばならない。

という思考は苦手でほとんど使わない。

けれど今回の『ねばならない』は特に

全神経を集中させて参らないと、と思っている。

 

これまで抱いてきた

大切なもの、大切だと思われていた関係、

大切に握りしめていた思考など

 

8割がた手放しが必要になるのが

『離』

の時のようだ。

そして死生観が大きく問われるとき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こころ揺さぶられる出来事を繰り返し

自問自答も繰り返し

どうしても譲れないものがあった。

それは私ならではの価値観のなかにある

正義。

結果的に孤軍奮闘となり

それでも譲れなかった。

それは私の生き方、生きる姿勢に関わるものだと思って

 

譲れなかった。

達観された方からすると

正義ですら手放したらいい。

という回答をいただくのも

わかっている。

残念ながら

今の私の進化レベルはここです。

なので

正義=拘り

を手放したら私は私でなくなるのかなと

現段階ではそのように感じてしまう。

根底には

自分を失うのでは。という恐怖があるため

正義感を手放せない。

 

 

私が正しいと言っているのではない。

正義とか価値感が違うだけ。

私たちの価値観を受け入れなさいよ!

と、強制されることは申し訳ないけど

私の生き方のためにお断りした。

頑固だなぁ、わたしも。

はいはい、

と、その場を凌げばいいもの.

のらりくらりとその場をやり過ごし

結果的に円満に収まるのが理想。

でも

恫喝まがいの強要には迎合できなかった。

 

…何があったのかは書きませんが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからわたしは所属ができない。

心の中でずっと聞こえていた声があり

それは

 

もう、何もするな。

という声。

 

何もするな

というのは

 

所属するための行動はもう何もするな。

 

という声。

わたしは想いが強すぎる。

なので一人でやっていくことがよい。

 

一人でやっていき

例えば夫が加わって

足並みの揃わないチームとなり

そのときまた軌道修正して

わたしはどこにも属さない

わたしとして

強風の中でも

そよ風のなかでも

 

ドンとただ一本の木のように

そこに立っているのだろうと思う。

 

そのときようやく

私の中のちっぽけな正義感を手放せるのだろう。

 

そうなればわたしは

本当に木のようになれるのだろうと思う。

 

 

 

 

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