「わたし」と言う自我


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永らくわたしの中に

根深く息づいていた

一つの思いを発見した。

今日は

住まいの街に

トゥリーディングをしてくださる

大切な人が来ていたので

懐かしさもあり、また変化の時を迎えていることを肌で感じていたので会いに行きました。

 

根深い思いを感じていながら

それを

はっきりと言語化しきれないものとして

扱って来たのですが

 

今日、それを正に捉えることができました。

それは

 

『わたくし。という自我状態の個体としての活動は、全体にとって利益があるとは思えない』

 

というもの。

 

社会に役立つ人でありたいための社会参加でしたが

所属ができないことは百も承知で

所属し夫や子ども、はたまた離れて暮らす実家の母に

安心してもらうためにかなりの努力を要して来ました。

 

できない。と、知っていながら。

できないことをやらずに出来ない。

と言っているのではなく、

数十年努力してできなかったので

出来ないのだ。と深く納得したのです。

 

ただ

所属せずわたしという個人で動くことが

社会にとって意味があるかと考えると

人に嫌われ

空気は読めず

または読みすぎて空回りし

出来ることといえば

子どもと子どものように遊ぶことだけ。

 

 

そのようなわたしという個人が

烏滸がましく個人事業主などやるということが

なんの役にも

誰の役にも立つ事はない。

と考えると個人として生計を立てていくことが

無駄なことだと感じていました。

 

それでも所属しながら気をつけたつもりなのが

関わる人に迷惑をかけないように生きること。

それだけ。

ほかには

何にも考えて生きておらず

迷惑な存在にならないように気を使い

言いたくない事を言い

合わせたくないものに合わせ

場が円満ならそれでいいと、払わなくてもいい自己犠牲を自らに課し

そして

さらに私という個人は自信のない個としての道すらない自我状態で

私という個体として生きて来てしまいました。

 

ですので

わたしという個として行うことに

一体どれほど意味があるのか。意味などないのに。

と、心から思っていたようです。

…それを言葉にできてよかったと思いました。

夫に自由生きてもらいたいと望んでいるのに

 

なぜか、夫はそれを受け入れない。そして

人がそのように思っていることを信じていない。

 

…さてどうしたらいいのか。

 

それにはまず私が自由に生きて行くことだ、

 

わたしらしく生きていくこと。

その姿を見て

安心して夫は自由にするであろうと

トゥーリーディングのその方を足と月読みの観点から話してくれました。

 

遡れば

私が夫を選んだのは

自分らしく生きることができるからであろうと思ったのも理由にあって、

優しい人ではないからこそ

最初の結婚の時のように

相手への精神的な甘えもありながらの日々にしたりせず、

 

私は私個人として生きることを学べるだろうと感じたからでもあったなと

思い出したのです。

 

夫は仙人と密かに呼ばれる月の持ち主だそうで

私は言うなれば幼稚園児の月の頃に生まれたそうで

 

関係性は

お爺ちゃんと孫。

というところであろうとのこと。

…夫は私をそのように確かに扱っており

時にその態度や言葉に傷ついてもいて

それは夫からしてみると

優しさ。

という事ですが

ダメな人だ。

と言われているようで傷ついておりました。

実際

社会に馴染めないし

例えばパソコンは基本的な操作が精一杯。

予定はすぐ忘れるし

などなど

で、ダメな人ではありますが

わたしはれっきとした個人であり

大人ですので

 

ときに親切であろうとするあまりの夫の言動に

深く傷ついてもおりました。

単純に

幼稚園児を放っておいて

お爺さんは遊びになんて行かれませんよね…

 

なので

私が本来の私を受け入れ

できないことが多いなり気に精一杯やりたいことを楽しみ、

人付き合いも含めたあらゆる整理をした上で

身軽に楽しんで動けるようになった姿を

先に見せるとよい。

 

ということです^^

 

なるほど。

わたしの

ヒビの入ったことがきっかけで可動域が狭く

動きにくくなっているのは

まさに今の私そのもので

 

動きたいよ!

と、足の親指がいっているよ。

とのことです。

そう、

 

わたしは

自由に動きたかったんだ、

 

なんでも挑戦して

なんでも試してみたくて

何でも知りたくて

そして自由でいたくて

アイディアのまま…

そのアイディアが

たとえ、それ可笑しいよ、認められないでしょ

といわれても

試してみたかったんだわ。

と、

思い出したのです。

わたしは

たしかに子どもたちと子どもレベルになり遊ぶことが大好き。

そうか、

月が幼稚園児だったからかと

 

トゥーリーディングのその方を

 

拝みたくなるほど

肩の力が抜けました。

 

変な人で

もういいや。

人の気持ちが読めないひとで

もう仕方ない。

それがただただ

私なんだ。

その私を

私が一番愛さなくてはね。

そして、本屋さんとして

売りたい本を選ぶときの

テーマを決めよう。

それ、大切でしたね。

そのテーマに沿った人のささやかなお役に立てるじゃないの。

 

それを忘れていたので

 

わたしが

個として行うことには

全体をよくするための意味がない。

なんて思ってしまっていたのだった。

 

嫌われながら

こうして

生きる場所を見つけていこう。

地上から去るまでの間に^^。

 

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